第8回 全国高校生・高等専修学校生『私のしごと』作文コンクール入賞作品集

第8回 全国高校生・高等専修学校生『私のしごと』作文コンクール入賞作品集 page 41/52

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識I』ロ※伶文の題はコロ生徒本人が付Iさ入賞作間付けたもので宝Iテーマ紗好きな壮事で、夢をかなえる! 1巌派になんてならなくていい”今、世間では「介護の現場は3K(きつい.汚い.給料が安い)の仕事」と思って....

識I』ロ※伶文の題はコロ生徒本人が付Iさ入賞作間付けたもので宝Iテーマ紗好きな壮事で、夢をかなえる! 1巌派になんてならなくていい”今、世間では「介護の現場は3K(きつい.汚い.給料が安い)の仕事」と思っている人がたくさんいる。事実、私の中学時代、将来の進路について友人に話した時「介護職?ああ、労働条件のわりに給料の安い仕事だよね。」と言われた。当時、私が通っていた塾の先生まで「大変な仕事だぞ。本当にやっていけるのか?もっとよく考えなさい。」と、私が進みたいと思う「介護職」について良いことを言う人はいなかった。でも、私の母と学校の先生だけは「菜奈子の性格にはすごく合っていると思う。決して楽な仕事ではないけれどやりがいのある仕事だよ。」と私の思いを後押ししてくれた。そして今、私は専修学校の福祉科で介護福祉士になるために日々勉強に追われる毎日だ。私は中学時代、決して勉強が好きな方ではなかった。数学や英語はいくら勉強してもちっとも頭に入っていかなかった。でも、今は授業で聞き慣れない言葉一つ一つに興味がわく。介護用語や医療に関わる事柄は病気の名前も難しい漢字も多く新しく覚えることばかりだが、中学時代の勉強よりもはるかに楽しい。この学校を選択して本当によかったと思う。私がなぜ「介護」の道に興味を持ったのか。それは祖父との思い出が強いから。祖父は4年前に病気のため手足の麻樺が進み車いす生活になった。麻揮で足が思うように動かせない祖父をベッドから車いすに移すのもひと苦労だった。母と一緒に少しでも祖父が楽に動けるよういろいろ考えたりもした。そして祖父の病気は進み私たちの家族のことも分からなくなる時もあった。それでも祖父はいつも私たちに「すみませんねえ。」と言って笑いかけてくれた。私は決して祖父からお礼を言ってもらうためにお世話をしていたわけではなかった。できたら祖父のその笑顔をずっと見ていたかった。たとえ祖父が私のことを分からなくなったとしても、少しでも長く祖父のそばにいたい、その選= 一熱一心だった。残念ながら祖父は病気が分かってちょうど半年後に他界した。私の通う専修学校は、専門分野を学ぶ場所なだけに授業料や教材費も公立に比べたら決して安くない。その上、毎日の電車代も合わせたらなにかとお金がかかる。4月から父も夜勤のない職場に変わる事になり、いきなり母が常勤で働き始めた。母のいない夕方の食事の支度を祖母が手伝ったり、電車の時間で早朝に出かける私の代わりに弟は犬の散歩をしてくれたり。私の入学を機に我が家の生活も一変した。母は仕事を持ち帰ることも多く、夜中まで仕事をしても翌朝は必ず私より先に起きて洗濯、食事の支度をしてくれている。そんな母に申し訳なく、私は入学以来、「自分の弁当は自分で作る」ことを決め今も実行している。たったそれだけでも母は「助かる」と言ってくれる。つい先月の母の日、「私が今の学校に通うことができるのはそんな父と母のおかげ。そして何かと協力してくれる家族のおかげ。そんな家族のためにも、専修学校でたくさん勉強をして立派な介護福祉士になって親孝行したい。」という思いを母だけにメールで送った。そして翌朝、母からの返事にはこうあった。「立派な介護福祉士にならなくてもいいから、利用者さんやみんなに愛される優しい介護福祉士さんになってね。」と。メールを読んで、私はハツとした。母のメールの言葉で私が本当に介護を志そうと思った気持ちをもう一度思い出させてくれた。私は決して「立派な介護福祉士」になることが目標ではなかった。私はただ単に利用者さんの喜ぶ顔や笑顔が見たいだけだったのに。その日を境に、私の気持ちがリセットされた。「介護」は確かにきつく、辛い仕事かもしれないが、私はいつも相手の立場になって考えられる心のこもった介護を利用者の方に提供していける介護士に。そんな人間でありたいと思う。安城生活福祉高等専修学校1年伊藤菜奈子